心の里帰り
生まれは奈良。
小学校3年のとき引っ越してきて、あとは東京近郊に住んでいた。
そして今回、仕事の都合で山梨県に引っ越したのだけれど、なんと関西弁が止まらない。
標準語でまったく話せなくなってしまった。
困ったもので、関西圏でない人たちは関西弁に、いやむしろ関西人に苦手意識を持っているのではないか、というくらいの反応を示す。
今の雇い主からは「『花子とアン』を見たら、甲州弁が勉強できるよ」と言われる始末。
関西弁はダメよ、ということ?
以前にも書いたけれど(http://okayuka-trail.hatenablog.com/entry/2014/03/16/231220)、土地の言葉は大事である。
知らない土地に来て、住みなれた場所とは違った雰囲気の中で生活をする。
そこで、自分のアイデンティティを守ろうとして「関西弁」が復活しているらしい。
周囲が甲州弁を話すたび、私は関西弁へ走る。
一番慣れ親しんだ言葉は、自分を守るツールでもあるのだと、気付かされる日々である。
それでもしばらくしたら、また標準語に戻るだろう。
そしてさらに経ったら、甲州弁も話せるようになるかもしれない。
言葉の引っ越しはまだ先である。