「働く」ということは・・・
もっと楽しい、明るい話題のブログを書きたい。
けれど絶賛奮闘中の”電話”の仕事は、いろいろ考えさせられることが多い。
2日と半日、奇跡的に”電話”の仕事から離れられた。
あまりの精神疲弊を苦慮してくださった別の上司が、違う仕事に一瞬引き込んでくれた。なんともありがたい話である。
しかし、どれだけ逃げようとも、”電話”の仕事はなくならない。
観念して再開。
しばらく離れていただけに、相手の冷たさ・警戒の声が心に突き刺さる。
突き刺さるとともに、そんなふうに思わせてしまった、相手を不愉快にさせてしまったことに対しても罪悪感を感じる。
大クレームを受けたことがあるので、なおさら怖い。
なるべく問い詰めないように、問い詰められないように、相手を傷つけないように、自分の会社を傷つけないように、と、ただひたすら祈りながら電話をしている。
今日、どうやら不快な思いをさせてしまったらしい。
電話は相手が見えないだけに、声のトーンや言葉遣い、スピード、話す内容、など注意することが多い。
その一部分でも相手と合わなければ、たちまち不快になるか、やんわり断られて切られるか、怒りだしてクレームになる。
相手は、いわゆる「働いている人」であった。
ふと、この人たちも私も、なんで「働いて」いるんだろうと思った。
電話での不快な思いは、書店時代に私もたくさん経験した。
どちらかといえば「不快になった」立場。
今考えると、そんなにいきりたつ必要なんてなかったのに。
「働いている」人は、とかく「自分の」利益、状況、行く末、に重点を置く。
相手がいないと、自分にお金は入ってこないのに、相手が見えない立場で働く人はなおさらである。
ひるがえって、接客業のアルバイトの方の電話の受け答えは、正社員のそれよりも格段に素晴らしい。
「相手に寄り添っている」受け答えなのだ。
正社員の電話は「判断」が主で、重要・不要しかない。
なんで「働いて」いる?
生活のため?
お金のため?
生きるため?
丁寧な受け答えをしてくださった電話の中に、答えを見た気がした。
「誰かの支えになるため」
相手がいるから、自分がいる。
自分がいるから、相手がいる、のではない。
働かなくても、生きてはいける。
それでも人が働くのは、「誰かを支えることで、自分が支えられる」からだと思う。
オレオレ詐欺とか、電話での勧誘とか。
個人情報も厳しい、せちがらい世の中だけれど。
それでも快く応えている人は、きっと「誰かを支えて」いる。
そんな人を騙すような詐欺は、心底許せない。
残念ながら不快に感じてしまう人は、昔の私のように、自分が働くことの意義、が「自分だけの中で完結」してしまっているのだろう。
不快な思いをさせてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
それでも今日も救いの手を差し伸べてくださった方に、心からお礼を言いたい。
そしてそのぶん、私も働くことで「誰かを支えたい」と一層強く感じた、今日の”電話”だった。
***今週末・金~日曜日は久しぶりの旅行!明けて月曜日はなぜか急きょ決まった面接!!次回の更新は来週の火or水曜日になります。楽しい話題にしたいです!!***