宮崎駿さん
先日、『風の谷のナウシカ』を久しぶりに見た。
何度も見ているのに、見るたびに発見があって面白いのが、宮崎監督の作品のすごさだと思う。いつ見ても新鮮なのはなぜだろう。
友人からナウシカの原作マンガを貸してもらった。
昨日と今日で一気に読破。
人間の「生」に対する、宮崎さんの「思い」が詰まっている、そう思った。
心突き動かされる作品である。
と同時に、なんとなく反省の心もわいてきた。
これでいいのか、自分?!
私の世代は特に、ジブリ作品に育てられたのかもしれない。
一番好きなのは「となりのトトロ」。
小学生の頃、何度も何度も見返した。
そのおかげかどうかは知らないけれど、私は「木」が大好きである。
家でドングリをまいたら、見事に芽が出た。
どれくらい経つだろう。
5年くらい経ったけれど、トトロが暮らせるようになるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
改めて「木」の大切さに気付かされる。
ところが「ナウシカ」の世界では、「ふつうの植物」ですら存在しないのだ。
人間がこのまま、このペースで生きていったら、ナウシカの世界は現実になるだろう。
「となりのトトロ」を見る未来の子供たちには、メイやサツキが走り回ったような自然が存在しなくなっているかもしれないのだ。
『紙と共に生きて』(ダード・ハンター/樋口邦夫訳、図書出版社)
という本を読んでいる。
ハンターさんは19世紀後期に生まれ、アメリカで育った。
まだ産業革命の波が押し寄せていない、おだやかなアメリカの大自然の中での生活。
幼少期を思い出しながら、こう書いている。
「私は少年時代のこうした風景にその後再び接したことはないし、それでいいと思っている。この美しい景色は今や私の記憶のなかだけに存在するのだ。”進歩”は意思もそのままにはおかず、私の幼い日のたまり場は今や惨めで失望をうむ光景を呈していることだろう」(19p)
この一文を読んだ時、悲しく思った。
彼は自分の中に描いておくだけで満足だったのだ。
それに対して宮崎さんは、自分の中にあるものを全て、表現して伝えている。
美しい景色も、惨めで失望をうむ光景も、それと接する大人や子供も、全て描いたうえで、いつも問いかけてきた。
どうする、どうする、人間?!君たちはどうする?!
私はナウシカを現実にするより、トトロを現実にしたい。
次の世代に、美味しい空気を吸ってほしい。
緑の中を元気に走り回ってほしい。
駿世代として。
私も立ち上がらねば。