心が顔に出る
具合が悪い時、全然顔に出ないらしい。
39℃の熱を出していようが、仕事中ずっと腹痛に苦しんでいようが、全く気付いてもらえない。
ところが、どうも考え込んでいる時は顔に出てしまう、ということがわかった。
今朝通勤途中、まあまあ見通しのきく二車線の交差点で、危うく車にひかれそうになった。
青信号になったので、前を歩いているおばちゃんに続いて、横断歩道を渡り始めた。
するとこちらに右折してきた車が、私が目の前にいるにも関わらず速度を緩めない。
ありえない!と思いながら、あと1m!というところで、「わー!」と言いつつ車から飛びのき、気付いた運転手がようやくブレーキ。
それを振り返りながら30分歩き、職場に着いた瞬間に、同僚から「大丈夫?」とか「なんか朝から疲れてる?」などと声をかけられてしまった。
考えの焦点は「自分を責めるか、運転者を責めるか」。
実は渡る前から、右折のために交差点に入ってきていた車が、妙に進入し過ぎだろうと感じていた。
なんとなく怪しい動きは察知できていたのにも関わらず、「止まるだろう」と思いこんで歩行者優先の青の信号を渡った私に、思いやりの心が足りなかった、というのが「自分を責める」パターン。
もう一つは、右折は運転する上では一番気をつけなければいけないのに、どうしてそんなに慌てて曲がってくるんだよ~!!と、「運転者を責める」パターン。
そんなことを、ひたすらモンモン考えながら歩いていた。
自分を責めるのも痛いし、相手を責めるのも間違っている。
でも相手を責めたい!!いや、自分をまず責めるべきだろう、でも違う、だって自分に不注意はなかったんだから!!
と、心の葛藤を繰り返していたら、顔に出てしまっていたという。
帰りにその道を通って、運転者の気持ちになってみた。
狭い二車線が交差していて、右左折が多い。
左折は楽だけれど、右折は対向車が多いために、後続車に気を使いつつ、対向車とのタイミングの見計らいに余念がない。
こりゃ、あの運転者が慌てて右折してきた気持ちもわかる・・・。
私の配慮という愛情をもっと注ぐべきだった。
今朝の葛藤解決。
これからは顔に出ないような、ポジティブシンキングを心がけよう。