年の初めに思うこと
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
年末は年賀状を作るためにPCと格闘していたら、いつの間にか年が明けていました。
大慌てで1時をまわった頃に就寝し、元旦は夜明け前にランニングに出発。
気持ちのいい朝日をいっぱい受けることができました。
寒いときほど、太陽の温かみが身にしみます。
便利になればなるほど、自然の恵みにたいして心が疎かになっていき、感謝の気持ちを忘れ、殺伐とした社会になるんじゃないか。
そんなことを考えつつ、だんだん疲れてきたので、電車で帰ろうと思ったら小銭がなく、結局走って帰りました。
そして現在風邪気味で喉が痛い3日目です。
今日は「福銭まき」に行ってきましたが、やっぱりとることはできず。
まあ、たくさんの人に囲まれて少し暖かかったので、これはこれでいいかなと。
すごすご帰る道すがら、取れずに文句を言う人、取れなかったために泣き叫ぶ子供、そうかと思えば2個も取って嬉しそうにしている人、1個しか取れなかった~という人。
いろんな人がいるな、と新年早々感じさせられるイベントでした。
いいか、悪いか、それは神様が決めることでも、誰かが決めることでもない。
自分の心が決めること。
『不思議な少年』(マーク・トウェイン/中野好夫訳、岩波文庫)
という本を読んだ時、目から鱗だった。
なんでもできる少年サタンは、ある少年の悩みをどんどん解決していくけれど、それは少年が思っている「いい」解決策ではなかった。
泣いて訴える少年にサタンは言う。
「それは君にとっての幸せで、僕から見たらこれが幸せなんだ」
といったような内容。
「善い」「悪い」は人にとって違う。
だからといって、多くの人が悲しんだり、傷ついたりするようなことは「善い」こととはいえないだろう。
自分の心がチクっとするなら、それは「悪い」こと。
誰かの心がチクっとするのも、「悪い」こと。
これがいい、悪い、と決めつけながら生きるのではなく、もっと自分の心、誰かの心に寄り添いながら「痛み」や「温もり」を感じることで、「善い」と思う方向へ判断できるようになりたい。
些細なことですが、そんな小さな意思目標を立ててみた年の初めでした。