今、なにをするか

小さな人間の、些細な日々を徒然書き綴ります。小さな改革がやがて大きな変化につながる事を信じて。

けじめ

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年末年始はちょっと苦手。

なにかせわしなく終わって、またあたふたと刷新しなければいけない感じがする。

よく考えてみれば、太陽暦なんて人間の考えたことで、宇宙の時の流れからすれば何も変わらないも同然なのだ。

なのになぜ、区切りをつけたがるんだろう。

最近まで全然理解できなかった。

 

今年はいろいろあった。

去年6年間勤めた仕事を辞めて、新しい世界へと飛び込むために1年間勉強して、土台作って今年飛び出したつもりが、見事に振り出しに戻り。

出会いも別れもたくさんあった。

責任の重さを痛感したり、自分の弱点に気がつかされたり、逆に本当にしたいことが浮き彫りになったり。

先日、伊豆大島に友人と行って、一人で島を歩いていたときに、わたしにとってこの島での生活はなんだったんだろう?とぼんやり考えていた。

必要だった?

それとも道を間違えた?

または・・・??

 

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足元にはマツボックリが転がっていた。

歩いていると、道の脇のクロマツには、もう新しい芽がついていた。

そのとき、なんだかパッと視界が開けた。

「そうだ、もう次は始まっているんだ」

 

マツボックリをつけて、時期になったら落として子孫を増やす。

でもそこで立ち止まっているわけじゃない。

立ち止まって考えるのではなく、次のことを始めている。

そしてスタートしてから、いろんな環境の変化に対して適応していき、また成果を残す。

ただそれを繰り返しているだけなのに、1年目と2年目では樹自体に変化が起きている。

枝葉が増え、樹は背を伸ばし、マツボックリだって数が増えているかもしれない。

小さかった自分は大きくなり、気がつくと足元に次の世代が育っている。

 

「けじめ」は必要なのだ。

それが1月1日だろうが、4月1日だろうが、1時間に1回だろうが、1億年に1回だろうが。

大きく変わるわけじゃない。

ほんの些細なことなんだ。

だけれど「次」へ行くために、必要なのは「実を落とし、新しい芽を出すこと」だ。

 

今年の経験は、これはこれで一つの成果であって、もうすでに次は始まっているんだ。

そんなふうに思えた瞬間、悩みが全部吹き飛んでしまった。

自然から学ぶことは多い。

特に「樹」は私の先生だ。

来年の実に向けて!

つないでいこう!