安定を求めて
人間が安定を求めるように、自然も安定を求める。
放射能だって、不安定だから安定を求めるために、破壊を繰り返し、それがために放射線が放出されている。
この世にあるものすべて、落ち着くところに落ち着きたいという意思があるんじゃないかと思う。
山もいつかは崩れていき、やがて平らかになっていく。
伊豆大島では、許容量を超える大雨が、「安定精神」に作用した。
上の写真、ちょっと視点はずれているけれど、下の写真と近い場所で撮影したもの。
緑で覆われていてわかりにくいけれど、こんもりと樹のある部分と、そうでないところがなんとなくわかる。
昔から崩れていた形跡。
今回、その部分がさらにえぐられ、崩れていなかった部分も一緒にずるっと滑り落ちた感じが見られた。
日本中どこでも、いや地球上どこでも、高低差のある場所であれば起こりうる。
それが自然の法則で、ごくごく普通のことらしい。
ただ、そこに「人間が住んでいる」と、「自然の法則」は「災害」へと変化する。
なんとも皮肉なものだと、いつも思う。
「いつ起こるか」が分からない、ということが難しい。
今回の土砂災害で、マスコミが言っているのは「避難指示をなぜ出さなかったのか」ということだ。
伊豆大島に5か月だけど住んでいた経験からいうと、「それが原因とは必ずしもいえない」ということである。
伊豆大島の「大雨」は東京の「大雨」なんかより苛酷である。
そんな中、もしくはそうなる前、避難する、ということは、常日頃からそんな大雨が降っている島の条件からすると、考えにくい。
大切なのは、誰かを責めることでも、自分を責めることでもない。
ありのままの現状を「知る」こと。
どんなことが起こりうるのかを「想像する」こと。
それにたいして何ができるかを考えて「行動する」こと。
それが私たち人間にできる、自然の「安定精神」に対する謙虚な姿勢ではないだろうか。
犠牲になられた方、ご冥福をお祈りします。
被災された方、大切な方を失った方、心に傷を負った方、たくさんいらっしゃいます。
ゆっくりでいい。
少しずつ、少しずつ、また歩んでいきましょう。
私も自分にできること、少しずつ、積み重ねていきます。
まだまだ、ここからです!